石清尾八幡宮の文化財をご紹介します。
細川清氏征矢
松平家奉納
貞治2年(1363年)正月、細川頼之は石清尾八幡宮参拝の後、兵四万人と共に伊予の河野通盛を攻め、同年4月戦勝のおり、石清尾八幡宮の神恩に感謝し4月3日お祭りを開いた。これが「右馬頭市」と呼ばれ、現在の5月3日の「市立祭」である。
写真の「矢」はこれをさかのぼり、頼之が四国の覇権を細川清氏と争い、これを撃ち破った訳であるが、その細川清氏の「矢」を松平家が当宮に奉納したものである。
右が「雁股(かりまた)」左が「龍舌形(りゅうぜつがた)」と思われる。
細川家制札
右於山河従此境致干東之境不可有山河狩事若於此妨者可罪科申行也仍制札状如件。
応安四年(1371年)八月
境内で狩などの殺生を禁じた制札。
還城楽面 附 散楽面
文明12年(1480年)作製
奉納者は不明だが、当時から八幡宮で雅楽が盛んだったことを思わせる。
花形馬面
細川頼之奉納
馬の額などを覆う馬具で、全体が花びらの形状に似ているので「花形」と言う。祭礼に使われたと思われる。
木鐙
細川頼之奉納
螺鈿鞍前後橋
細川頼之奉納。螺鈿がほどこされた前輪、後輪と居木が納められている。
喜岡城瓦(古高松城遺瓦)
喜岡寺地中から出土した長禄三年(1459年)造の遺瓦。古高松城の瓦と伝わる。
古高松と新高松の縁から、喜岡寺より当宮へ奉納された。
古管 篳篥
雅楽器篳篥とそれを納める玉楮象谷(たまかじぞうこく)作の扇面(せんめん)管箱。
玉楮象谷は讃岐漆器の第一人者であり、数多くの作品を残した偉大な漆芸家である。
石清尾八幡宮祭礼図巻
江戸時代末期 松平頼該筆
松平家歴史資料
高松松平家10代藩主頼胤(よりたね)の兄、松平頼該(よりかね)筆。上巻は城下の各町から出されたお船や趣向を凝らしたつくり物を載せた囃小屋台などが描かれ、下巻は鳥毛や挟箱などの奴行列やオサキラサン(頭人・とうにん)、神輿などを描く。
当宮所蔵の図巻は、松平家より借り受け、描き写したものである。